「デザイナーは皆同じようなルールに従ってデザインを作る」と思っている人もいますが、そうではありません。 また、「デザイナーは皆、個人のセンスの赴くままにデザインを作る」ということもありません。
「デザイン」という言葉はやっかいで、デザイナーに限らず広義での解釈が人によって違うのが現実です。 なので、プロジェクトによってデザインに関わる人の認識を合わせておくと、スムーズに事を運ぶことができます。 今回は私がデザインについて定義している内容を記します。
目次
デザインする、とは
デザインとは、飾り付けやグラフィックを作ることを指すのではなく、プロジェクトを意図通りに形作る事を言います。 「意図」は、多くの場合、プロジェクトがそれの利用者にとって使いやすく、わかりやすくすることになります。
「使いやすく、わかりやすくの場合」 – 例えば
- 洗濯機の操作ボタンに機能名がついていなかったら、利用者はどれを押したらいいかわかりません。
- 診療所のロゴにガイコツマークが使われていたら、訪問者は戸惑います。
- iphoneのON/OFFボタンが上ではなく下側の面についていたら、端末を落とす人が増えてしまいます。
役割分担されていると考える
デザインには様々な要素があるため、役割によって担当者が分かれていると考えます(実際に人がいるとは限りません)。
- 企画をする人
- 設計をする人
- トンマナを作る人
企画をする人
プロジェクトの概念(コンセプト)や概要を考える人です。
例えば、iphoneなら、「スマートフォン」「App Storeによるアプリ」「Mac OS X派生のOS搭載」などが企画の内容になるのではないでしょうか。
設計をする人
いわゆる設計書を作る人です。IA(インフォメーション・アーキテクチャ)や、仕様・配置、機能を作ります。
①人間工学に基づいた設計と、
②マーケティングのための設計、
③プロジェクトの分野による基準規定に基づいた設計
を行います。
①はどの業種業界にも一貫して通用しますが、②③は業種業界ごとの知識が必要になります。
例えば、iphoneなら、
ハード面:「端末のサイズ」「ボタンやスピーカー・マイク・ジャック・カメラの仕様・配置」など。
ソフト面:「仕様・配置」など。
つまり”ホームボタンを押してロック解除”する動きや、”アプリが並んでいる”配置、”タップで画面切り替え”操作などは設計者が作ります。
トンマナを作る人
トンマナとはトーン&マナーの略で、一貫性のある雰囲気や表現の調子のことを言います。
WEBデザイナなどはこれに従事している事が多く、設計を兼任することもあります。
例えば、iphoneなら、 ハード面:「角丸」「艶出し」「カラーバリエーション」など。
ソフト面:「角丸」「半透明」「反射」「AquaKanaなどのフォント」「アプリを開くときのズームするようなモーション」 など。
つまり、見てくれなど、機能とは直接関係ないものを作ると言えます。
先述の通り、実際に担当者が別れるかどうかはプロジェクトによって異なります。
Aというプロジェクトでは、企画者・設計ディレクター・設計者・トンマナディレクター・トンマナデザイナーに別れることもあれば、 Bというプロジェクトでは設計~トンマナからグラフィック・イラスト作成などまで一人で担当する場合もあります。
大事なのは
誰がどの部分を担当するのか把握する
役割は混同されがちなので、発注者も含め、誰がどの部分を担当するのかを把握します。
例えば設計者がトンマナ者に設計を考えさせるようなことは望ましくありません。
発注者=企画者になることは多くあります。
万能な設計者やトンマナ者はいない
プロのデザイナーだからといって、少ない情報で適したデザインを作ることはできません。
設計する人は、人間工学的にどのような設計にすれば利用者にとって使いやすいものになるかを知っています。
また、トンマナを作る人は、一貫した雰囲気を作ることができます。
しかし、プロジェクト企画者の意図したとおりに形作るには、当然その意図を知らないと作ることはできません。
言い換えれば、設計者やトンマナ者が企画者との打ち合わせなしに自分の判断でデザインを作ることは出来ず、その場合は当てずっぽうで作業を行うしかないのです。
とどのつまり
・上記のようなデザインの認識を合わせておくとスムーズ。
・情報なしに「いいように作っといてよ」では確実に適したデザインを作ることができない(個人のアートセンスを使うものではない)。
余談:なぜか混同されるデザインとアート
今回の定義で言えば、デザインとアートは関係のないものだと言えます。 混同されがちな理由は、実際の作業内容が同じ事が多いからだと思われます。
デザイン成果物やその工程を「アートだ」と表現することも出来ます。 アートもまた広義での細かい解釈が人によって違いますが、「表現」と「鑑賞」の相互作用による活動を指す事は広く認識されています。
-以下Wikipediaより
ある活動や作品が芸術であるか否かについて、必ずしも誰もが同意する基準があるとは限らない。表現者側では、その働きかけに自分の創造性が発揮されること、鑑賞者側ではその働きかけに何らかの作用を受けることなどが芸術が成り立つ要件とされる。これに関して、表現者側では、自分の作品を構成するにあたり、先人の影響を受けたり、既に様式が決まっている表現方法、媒体を用いたりすることはよく行われるので、必ずしも表現の内容が完全に自分の創造性にのみよっているとは限らない。また鑑賞者側が、その表現が前提としている様式の暗号を知らないと働きかけはうまくいかない。 「権威に認められた高尚な活動」が芸術であると誤解されることがあるが、そうではない。権威とは芸術作品を世に広めたり後世に遺したり芸術活動を推奨することを目的とした組織であり、そのために特にその価値がある芸術作品を認め知らしめるだけで、芸術を定義しているものではない。
私も同じ認識です。 要するに人によって「アートになり得るか否か」や「価値」がバラバラなもので、なんでもありなのです。
「形作る」事すらないことだってあり得ます。
これは先述のデザインとは別次元の話です。