コンペは「競技制作」を、スペックワークは「支払いを期待して無料で実施する仕事」を指します。これらは主に広告デザイン業界において問題視されています。
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スペックワーク
カナダの広告代理店が制作された動画です。CCO兼創立者の方に許可をいただき、記事にしています。https://t.co/eX7E5nJgLF
? アソボデザイン(トミナガハルキ) (@asobodesign) 2016年9月26日
要約すると「りんごを食べさせて欲しい。気に入ったらお金を払います」ということと同じです。
このような取引に応じる果物屋さんはいないでしょうが、業界によっては慣習化してしまうことがあります。
この原因は個々の商品に対する価値観にあります。これは要求する側と提供する側双方に言えることです。
コンペ
コンペはスペックワークを多数の制作者に求める事になります。ただりんごとは少し違います。
「自分に合わせたネーム刺繍入りのスーツを多数の仕立て屋さんに特注します。気に入ったもの1つだけ買うのでそれ以外は返します」ということと同じです。
果たしてこれに応じる仕立て屋さんはいるでしょうか。普段の特注料金の10倍の金額が出るなら応じるかもしれませんね。
コンペの問題点は剰余価値にねじれが生じるところにあるが、受注者は安易に請けないことを啓蒙しておく必要がある。発注側はコンペの利点(そもそもなぜコンペなどを行うのか)を考えればうまくいく
? きむんきむん (@graphnotes) 2016年9月28日
資本論から考えるコンペ
カール・マルクスの「資本論」は今となっては古い生産様式(考え方)ですが、参考になることもあります。
詳細は省きますが、マルクスは労働力が商品の価値を決めるという理論を展開しました(労働価値説)。
これは簡単に言ってしまうと市場において「人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決める」という理論です。
労働者は労働力を対価に雇用者から賃金を受け取る契約をします。
(自らが働く個人事業者の場合は成果物の完成と引き換えにクライアントから報酬を受け取るので、労働力を対価としませんが、この場合は自分で自分に労働力を提供しお金を受け取ることになります。)
制作料10万円のグラフィック制作のコンペがある場合
応募者は10万円分の仕事を提供する(期待される)のが普通です。
・応募者1人:発生する労働力=10万円分
・応募者10人:発生する労働力=100万円分
・応募者100人:発生する労働力=1000万円分
主催者はこれを享受することが出来ます。
ただし労働は分断されているのでこれらを組み合わせた1000万円にはならず10万円が残り、990万円の労働力は捨てられます。
市場価値観の「ねじれ」
「本来の市場価値」というものが存在するかどうかは分かりませんが、価値が分かりにくくなったものを私は価値観の「ねじれ」と読んでいます。
例えばソーシャルゲームのガチャ(くじ引き)でとてもレアな商品を手に入れようとした場合、期待値から計算すると1つ20,000円ほどになる事がありますが、これを商品棚に置いて自由に購入できるように設定する場合、市場価格は2,000円ほどまで下がります。20,000円だと全然売れないというわけです。
つまり、レア商品を狙ってガチャを引いているときは、20,000円を意識しておらず、価格への意識は1回300円などの表示に引っ張られがちになります。
実際は商品単価20,000円のものを買おうとしているが、いまいち認識できない
こういった場合は、自分がいくらお金を使おうとしているのか、そしてねじれがない状態でのその商品の価格はいくらとなるのか認識しておくとよいです。
話が逸れましたが、コンペやスペックワークでも制作者はこれと同じように期待値を考慮して労働力を決定するのが良いでしょう。その考え方であれば、10万円の報酬の案件で応募者が10人いる場合は労働力を1万円分にしないと割に合いません。冒頭の特注スーツの話と同じですね。
結局何のためのコンペやスペックワークなのか
今回の問題点のいちばん重要な部分がここにあります。
コンペやスペックワークの利点は「(ある程度の)成果物や提案物を実際に確認することができる」ことにあります。
誰だっていきなり新しい家を購入するのは怖いものです。しかしとりあえず1ヶ月だけそこに住んでみることができたらどうでしょう。
あるいは何棟もの家を選り取りみどりすることができたら、気に入らない場合に購入をキャンセルすることが出来たら…。
特に監修する能力や決断する能力に不安がある場合、この様に思うはずです。
言い換えると成果物が無くとも、実際の出来上がりを想定することができればスペックワークやコンペは必要ありません。
わざわざ建ててくれるなんてことはありえないが、モデルルームなら・・・?
問題点の解決方法
制作サイド
・ねじれを理解して、不利な商取引を避ける。
・取引先が求める成果物のサンプルや体験版を用意しておき、監修の力を強める。
・自社の仕事内容について周知活動を行い、世間の価値を高める。
発注サイド
・スペックワークやコンペが認められない業界となった際に、提案や成果物の数で監修するのではなく、効率と質で監修できるようにしておく。
「ねじれ」を用いた商売は阿漕か
まあそんなことはないでしょう。価値が分かりにくい状態を「ねじれ」としたので、いろんな取引に精通している人にとってねじれはありません。
「食べるためにりんごを買う」ことは分かりやすいですが、「住むために耐用年数40年の家を買う」「ジャムにして売るためにりんごを仕入れる」のは分かりにくいです。この分かりにくい部分が「ねじれ」です。分かりにくい部分を分かるようにしておけば色々と楽なわけですね。
労働価値説を取り上げましたが、これは単純な考え方の道具として使用したに過ぎません。現代の経済活動では需要と供給によって商品価値が決定され、労働力の質や量は絶対のものではありません。
「専業の主夫&主婦の給与はいくらが妥当か」などという与太話がありますが、購入する人間がいない限り商取引は成り立ちません。この場合は財産分与などの方式や、専業主夫&主婦業のシミュレーションで金額を想定することが出来ます。例えばイケメンや美人の主夫&主婦業であれば需要が高まり価格が高騰することが想像できます。そしてその逆は…。
奈良県で2017年に開催される「国民文化祭」のロゴマークにおいて「価格が高いor妥当」(お金を使うべきor使わないべき)などの議論が起こっています。「公募で価格30万円が適正」という意見がありますが、これらを決定するのは募集者や応募者のバランスであって、絶対的な相場が世の中に存在するわけではありません。当然そこにねじれも含まれます。
ただし、全てが自由というわけではなく秩序や公平性が保てなくなる場合、国や自治体が管理するようになっています。